貴方の生き方は私の目標です。
こんにちは。本日もお立ち寄り有難うございます。
本日は思い出話をしてみたいな。と思います。
私と同じころに職場の施設に入居したちえさんのお話です。
ちえさんは私より2週間ほど早く入居されていました。
とても品があり頭も良いすてきなおばあちゃんでした。
性格はサバサバ。サッパリ。
同じ頃に入った私をとてもかわいがってくれました。
私はそのサッパリ、はっきり、時にバッサリと意見をいう姿は格好よさもあり大好きでした。
「あんたみたいな子が嫁さんに着てくれたらよかったのに。内の嫁さん私によりつかないのよ。」時に寂しそうな顔をしていたのを思い出します。
ちえさんは頭に何個も脳腫瘍をもっており、既に手の施しようがないと余命宣告をうけて居る方でした。
何箇所も施設を断られやっと内の施設が受け入れをしてくれたとうれしそうに話していました。
介護士たちにはいつ急変をしてもいいように緊急マニュアルが用意され、巡回で寝息をたてていればホッとしたものです。
ちえさんは初め歩行器を使い歩いておりました。その後物を見ると二重に見えるようになりあちこちにぶつかるようになりました。何度もナースコールを使うように言っても「まだまだ大丈夫。負けてられないのよ。」と手足にアザを作ってもご自分でなんでもやろうとしました。
とても強い人です。ご自分の命が短いことをきちんと理解をしており、身辺整理を少しづつ行っておりました。
「立つ鳥後を濁さず。って言うでしょ。」笑ってお話されるのです。
きっと死に対する恐怖があったはずです。それでもいつもニコニコ笑っており、人にとても優しく気を使ってくださる方でした。
そのうちちえさんは平衡感覚掴めなくなりお部屋で転倒を繰り返すようになりました。
ちえさんは歩行器から車椅子になりました。
「あら。足が2本にタイヤまであるなんて贅沢ね。」そう言って笑い飛ばすのでした。
「私はいよいよっていう時まで、ここでお世話になります。」と施設長にご自分で説得され「家族になんか頼らないわ!」と豪語していました。
ある夜勤の日。私は巡回をしていました。
するとちえさんのお部屋から
「負けてたまるか。病気になんて負けてられない。こんなことくらいで。」
と押し殺すような声と嗚咽が聞こえてきました。
私は声をかけられませんでした。頑張っている人に頑張れなんていえません。
言葉が出ませんでした。自分の運命と向き合い、受け入れ戦っている。
私にできるのだろうか?同じ立場でこんなにも強く生きていられるだろうか。
考えさせられました。
いつもの検査通院から戻ってきたちえさんは私に
「今までありがとね。私はあんたがどんどん成長するのをみるのが大好きだったんだよ。あんたに負けてたまるか。って思っていたんだ。あんたの愚痴も聞いたし、私の愚痴も聞いてもらったね。あんたにお風呂を入れてもらうのは本当に楽しみだったよ。いろんなことをおしゃべりしたもんね。そんな私もいよいよ年貢の納め時のようだよ。」
そうお話になりました。
ちえさんは病院の空室をまちその後入院されました。入院から1週間程たった頃正式に退去のお話がありちえさんは私たちの施設から去っていきました。
それから1ヶ月程たったころでしょうか。新聞の死亡欄にちえさんのお名前をみつけました。
ちえさんは長い闘病期間を終えてようやく病気から解放されました。
施設にご家族から連絡がありとても静かに眠るように旅立たれたそうです。
ちえさん、貴方の強さを貴方の優しさを私は尊敬します。
貴方のように生きていくのは私にはできないでしょう。
でも少しでも近づけたらと思います。貴方の生き方は私の目標です。
ちえさん私がそちらに行った時また沢山お話ししましょうね。